下鴨神社|下鴨・上賀茂界隈

下鴨神社 東に高野川が、西に賀茂川が流れる合流点の三角州に、鬱蒼と木々が茂る森がある。
この森で、下鴨神社の祭神、賀茂建角身命が人々の訴えを聞き正邪を裁いたと云われ、これから「糺す」という名が付いたとも、
また、秦氏と賀茂氏とのつながりから、蚕の社にある元糺の池に因んだとも云われている「糺の森」である。
この森を通り抜けると下鴨神社である。
下鴨神社は正式には「賀茂御祖神社」といい、平安京以前の賀茂氏の氏神だった神社で、その歴史は古いのである。


アクセス
京都駅から
▼「A2」乗り場から205系統で『葵橋西詰』下車(所要28分)

下鴨神社を歩く

■ 葵橋西詰(バス停)

徒歩6分

■ 鴨川の飛び石

鴨川の飛び石

飛び石とは川の中に置かれた石で、その上を歩いて向こう岸へと渡ることが出来る、
東の川端通から、高野川に石を並べ鴨川公園の先端を経て、さらに賀茂川の中を対岸まで並べられている。
位置的には、賀茂大橋と出町橋・河合橋のほぼ中間で、川端通から若い娘さんがこの石を飛び、鴨川公園に渡って行った。

徒歩1分

叡山電車「出町柳」

徒歩2分

■ 千鳥の名所

千鳥の名所

賀茂川と高野川の合流点に、小さな公園があり、先述の飛び石を渡ると、この公園に辿り着く。
その公園の中に『その昔 ここら千鳥の 名所かな』という石碑が建っている。その昔ここらは千鳥の飛び交う処だったようである。
千鳥は渡り鳥で、小さくて尾が短く、背中や頭・嘴が黒く、足は長く三本足の鳥である。
『鴨の河原に千鳥が騒ぐ またも血の雨涙雨……』と歌われ、鴨川と千鳥は深い結びつきがあったのだが、近年この千鳥が鴨川に飛ぶ様を見かけることが少なくなった。

徒歩2分

■ 目玉の松ちゃん

目玉の松ちゃん

出町柳から河合橋を渡り、糺の森の入口にあるのが、葵公園である。この一角に、尾上松之助の胸像が建っている。
尾上松之助は明治から大正にかけての、日本映画最初のスターである。
明治42年(1909)に、日本映画の父といわれる牧野省三監督の時代劇で映画界に入り、目を見開き見得を切ることから「目玉の松ちゃん」と呼ばれた。日本映画の草分けである横田商会が製作した時代劇の殆んどに出演し、日本映画創生期の大スターである。

徒歩4分

河合神社

鬱蒼と木々が繁る「糺の森」で最初に出会うのが『河合神社』である。

■ 長明の方丈

長明の方丈

『鴨長明は50才のときに出家をし、各地を転々とし、58才のころに落ち着いた。
各地を移動している間に「栖」として仕上げたのが、「方丈」である。
移動に便利なように、すべて組立式となっている。
広さは一丈(約3メートル)四方で、2.73坪、畳5帖半程度の広さである。間口、奥行とも一丈四方というところから「方丈」の名がある。
さらに土台状のものが置かれ、その上に柱が立てられていることである。この構造は、建物の移動ということを念頭に柱が構築されるからである。

徒歩4分

鴨長明

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず・・・の「方丈記」を書いたのが鴨長明である。

徒歩2分

■ 瀬見の小川と紅葉橋

瀬見の小川と紅葉橋

河合神社の東側を下鴨神社から糺の森の参道に沿って、北から南に流れる小川が瀬見の小川である。
糺の森のなかを、北から南に流れている小川で、深さは人のくるぶし位である。
「石川や せみの小河の 清ければ 月もながれを 尋ねてぞすむ」
と、鴨長明が歌ったことにより、この小川が広く世に知られるようになった。
河合神社から東に出、糺の森の参道に見えるのが、瀬見の小川に架かる紅葉橋その名の通り、この辺りは平安の昔より紅葉の名所として知られていたのである。

徒歩3分

■ 奈良の小川

奈良の小川

瀬見の小川を北に、下鴨神社に近づくにつれ東西へと流れが変ると『奈良の小川』である。
この小川は、「糺の森」の発掘調査により、幅3m、深さ0.4mの古代の流路60mが見つかったものを復元した小川である。
小川の上流にある船島は、奈良殿神が祀られている無社殿神地で、古代の自然信仰の祭祀跡である。
この神地のナラの木の林を流れていることから、『奈良の小川』と呼ばれるようになった。

徒歩1分

奈良の小川の御手洗

奈良の小川を越えると下鴨神社の赤い鳥居が見える。
鳥居をくぐる前に、御手洗(みたらし)−直澄(ただす)で、身を清めることとする。

徒歩1分

■ 相生社

相生社

下鴨神社の朱塗りの楼門を入る前の左側にあるのが『相生社』(あいおいのやしろ)相生社は産霊神(むすびのかみ)を御祭神とし、古代から縁結びの神として知られている。
産霊(むすび)は、生産や生成を意味し、創造を神格化したもので、古事記や日本書紀などの現れる創造の神である。
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)と女神の神皇産霊神(かみむすびのかみ)とが対となって、男女のむすびを象徴している神だと云われている。その産霊神を祀っているのが相生社で、縁結びの神と云われる由縁も分かる気がする。

徒歩1分

下鴨神社

下鴨神社の名は、鴨川の下流に祀られていることから呼ばれる通称で、正式には「賀茂御祖神社」(かもみおやじんじゃ)と云う。

■ 鴨社直会殿泉聲

鴨社直会殿泉聲

直会(なおらい)とは、神事に参加したものが一同に会し、神酒を頂き神饌を食することを云う。
鴨社直会殿泉聲(かもしゃなおらいでんせんせい)は、『平安時代より、歴代御即位大賞祭後、饗応殿の御下賜により、この所に直会殿として移築し、式年遷宮ごとに造替してきた。
ところが昭和度殿社が老朽化した為、昭和23年頃、撤去した後は再建がなく、平成27年度第三十四回式年遷宮の一環として、平成5年に五丈殿の撤下を受けたので再興した。』
『また庭は、平安時代から紫極(天帝の座の意)に因み紫珠が植栽されていたので「紫式部の庭」として復元した。』 と駒札にある。

御手洗池

下鴨神社の境内をさらに奥へ・・・葵祭の斎王代が禊をする『御手洗池』がある。

■ 輪橋

輪橋

御手洗川に架かる「輪橋(そりばし)」、尾形光琳がこの辺りを描いたのが、国宝の「紅白梅図屏風」であり、以来この梅を「光琳の梅」と呼ばれるようになった。
尾形光琳は江戸時代の画家で、万治元年(1658)京の呉服商の次男として生まれている。若い頃は放蕩三昧で金を湯水のように使い、財産を使い果たしてしまう。
40才頃から食を得るために画業に打ち込みだし、享保元年(1716)に59才で亡くなるまでの間に、後に国宝や重文とかる絵画を世に送り出すのである。


叉蔵の桔木の墨書

楼門の西回廊の下に『叉蔵の桔木の墨書』(あぜくら の はねぎ の ぼくしょ)なる一本の木材がある。
なんと、これも重要文化財なのである。

出雲井於神社

徒歩3分

■ 下鴨神社前(バス停)

鴨の七不思議

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