伏見稲荷大社|洛南界隈

伏見稲荷大社 伏見稲荷大社は、全国に3万社もあるという稲荷神社の総本山で、朱塗りの鳥居が並ぶ、千本鳥居をくぐり稲荷山へ参拝する「お山めぐり」があり、正月三ケ日は初詣の人達で大いに賑わうのである。





アクセス
京都駅から
▼JR奈良線で『稲荷』下車(所要5分)


伏見稲荷を歩く

■ 稲荷(JR奈良線)

徒歩2分

伏見稲荷大社

伏見稲荷大社 伏見稲荷大社には二つのアクセスがあり、大阪からは京阪電車で「伏見稲荷」で降りる。
京都からは、京都駅に近い人は、JR奈良線で「稲荷」を、また出町柳、三条、四条沿線に住む人は京阪電車でということになる。



■ 伏見稲荷のお茶屋

伏見稲荷のお茶屋 伏見稲荷の境内の本殿の横に「お茶屋」と云われる建物がある。
通常は非公開で、中に入ることは出来ないが、江戸時代の数奇屋風造りが窺える、重要文化財である。
江戸時代の慶長11年(1606)に御所の建物を、禁裏に仕えた伏見稲荷の祠官であった羽倉延次が、後水尾天皇より下賜されたもので、建物は、桁行7.6m、梁間7.9m、一重入母屋造で、桟瓦葺の腰廻檜皮葺、玄関車寄が付属する造りとなっている。

東丸神社

東丸神社は伏見稲荷大社の境内に隣接、というより境内の中にあるといった方がいい神社で、伏見稲荷の末社と思われがちなのだが、全く関係のない独立した神社なのである。

千本鳥居

千本鳥居 朱塗の大鳥居をくぐると、石段の上に楼門があり、その奥に拝殿、本殿がある。
その横から奥に奥宮があり、伏見のお稲荷さんといえば、5000本とも1万本とも言われ、山上のお塚に続く鳥居が立ち並んで、壮観である。
千本鳥居はお稲荷さんに願い事をし、それが叶ったときの御礼として、お山めぐりの参道に鳥居を奉納したのが始まりだと言われ、江戸時代からその習慣はあったようである。

■ おもかる石

おもかる石 お稲荷さんの鳥居を潜っている途中に、おもかる石を見つけた。
灯篭の前で願い事をし、石灯篭の頭(空輸というらしい)を持ち上げて、思っていたよりも軽く感じたら願いは叶い、重いと叶わないというもので、おもかる石というらしい。
試しにやってみようかと思ったが、石が重いと願いが叶わないので止めることにした。願いは叶うまでが楽しみで、この時点で、叶う叶わないが分かってしまうと楽しみが半減しるからである。
その横には絵馬があり、というか絵狐とでもいう方がぴったりの狐の顔をした絵馬があった。お稲荷さんだけに、願い事もお狐さんにするのだなあと、妙に感心をしたのである。

■ お山めぐり

お山めぐり 伏見のお稲荷さんは、もともと稲荷山を神とする神体山信仰に始まったといわれており、この稲荷山を巡る約4Kmの「山めぐり」が出来るのだが、
これは山登りと同じでとても歩きとおせることが出来なくて、山めぐりの「や」の字もいかない内にギブアップし、一番最初の曲り角を下山の方向に曲がってしまった。
本当はもう一つ上の、四ツ辻まで登ると見晴らしがいいらしいのだが、この急の階段を見て諦めてしまった。次は、山歩きの準備をして、ここから上の山めぐりに挑戦してみようと思っているのだが、はてさてどうなることやら・・・
途中の辻々にはこのような茶店があり、山を巡る人達の休み処となっている。
ここにビールを売っていたので、よほど一杯飲んでとも思ったのだが、あまりにも不謹慎かと思い、泣く泣く諦めて山を下った。

稲荷駅から、徒歩9分

大橋家庭園

伏見稲荷大社から北に、板塀に囲まれた瀟洒な建物がある。
ここが明治末に、鮮魚の商いで財をなした、大橋仁兵衛が建てた別荘である。

徒歩6分

荒木神社

八島ケ池、通称「お産場池」の横を通り、大橋家庭園をみて伏見稲荷の裏参道を登って行く。

徒歩12分

■ 伏見稲荷の大鳥居

伏見稲荷の大鳥居 伏見稲荷大社に参詣するには、JRの「稲荷」駅か、京阪電車の「伏見稲荷」駅で降りる。
JRの「稲荷」駅で降りると、本町通りに面した一の鳥居の朱色が目に入る。
京阪電車の「伏見稲荷」駅は、ここまで歩いて5分の距離である。
奥に見える楼門までは歩いて2分、京阪「伏見稲荷」の駅からは、土産物や食事処が並ぶ北の参道を通ると楼門までは、6分で歩ける。
初詣の利用者は圧倒的に京阪電車が多く、大阪からは京阪だが、京都の人も結構、京阪電車を利用する人は多い。
JRの「稲荷」駅で降りるのは、京都駅を経由するか、奈良駅からの人が多く利用する。
JR「稲荷」駅は、京都から奈良線に乗り2つ目の駅で、普段は普通列車しか停まらないのだが、初詣の時には臨時に「みやこじ快速」を停め、参詣者の便利を図っている。
いつもは閑散とした駅も、この時ばかりは凄い人手となるのである。

徒歩1分

JR稲荷駅


■ 旧東海道本線

旧東海道本線 JR「稲荷」が旧東海道本線の駅であったことは既に述べたのだが、すこしく詳しく述べると伴に、その稲荷の駅には、国鉄最古の建物である「ランプ小屋」が残っている。
旧東海道本線の馬場(膳所)〜京都間は、明治13年7月に開通するのだが、その後、新逢坂山トンネルと東山トンネルとが掘削されたことにより、大正10年8月に、両方のトンネルを経由する路線に変更となり、京都〜稲荷間を残し他は廃線となる。
旧東海道本線の馬場(膳所)から、大谷〜山科〜稲荷とを結ぶ線路は、逢坂山の山間部を通る路線で、急勾配や逢坂山のトンネル、丘陵部の切り取りなどの難工事であったのだが、この工事はそれまでの外国人技師に依存するのではなく、日本人の手によてt建設をされたのである。
明治13年の開通式には、明治天皇の行幸を仰ぎ、当時の最新鋭の機関車が走ったのだが、逢坂山の急勾配や急な曲りなどで、当初から路線変更が叫ばれていたが、 土木技術の発展とともに、二つのトンネルが掘られ、41年にわたって使用された旧東海道本線が幕を下ろし、「稲荷」駅は、奈良線に組み入れられることになったのである。

■ 稲荷(JR奈良線)

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