西嵯峨|嵐山・嵯峨野界隈

西嵯峨 西嵯峨には、「祇園精舎の鐘の声/諸行無常の響きあり/沙羅双樹の花の色/盛者必衰の理をあらわす・・・」と平家物語の序章にあるような、無常観漂う処である。
平清盛の寵愛を受けた祇王が尼になり、余生を送ったという祇王寺があり、「一樹の陰に宿り合い、同じ流れをむすぶだに、別れは悲しき習ひぞかし」とこの庵に、祇王と妹・祇女、母のとぢが住み、後に仏御前が無常観を感じ尼の姿となり、共にここで念仏を唱え余生を送るのである。
また、その南には横笛と滝口入道との悲恋を伝える滝口寺があり、世の無常観を今に伝えている。


アクセス
京都駅から
▼「D3」乗り場から28系統で『嵐山天龍寺前』下車(所要45分)
▼JR山陰本線(嵯峨野線)で『嵯峨嵐山』下車(所要16分)


西嵯峨を歩く

■ 嵐山天龍寺前(市バスバス停)

徒歩15分

■ 竹の道

竹の道 嵐山亀山公園の中腹、大河内山荘へと続く道である。
嵐山とは思えない程に人が少なく、いかにも嵯峨といえる雰囲気の小路である。
『嵯峨野笹の葉さやさやと』とまさに嵯峨野に吹く風の音が……とその余韻に浸る余裕もなく、額から汗が滴り落ちた昼下がりであった。

徒歩4分

大河内山荘

大河内山荘の入口である。
大河内山荘は、時代劇俳優である大河内傳次郎が小倉山の南東、亀山公園に挟まれた広大な敷地に、映画出演料の総てをつぎ込んで造った別荘である。

徒歩1分

■ トロッコ嵐山

トロッコ嵐山 大河内山荘から嵯峨野への道をとると、トロッコ嵐山の駅に至る。
トロッコ列車に乗ろうとする人の多くは、この駅でなく、始発駅のトロッコ嵯峨で乗車する。
JR嵯峨嵐山の駅に隣接し、ここから乗るのが便利だからである。
しかし、この駅からもトロッコ列車に乗る人はいて、調度、列車が着いて乗る人は皆乗ってしまい、駅舎はがらんとしていた。

徒歩1分

■ 旧山陰本線の線路

旧山陰本線の線路 この嵐山の駅はホームが短くて、全車両が停まりきれず、前の2両はドアが開かないのである。
もともとは山陰本線の路線であったものを、電化・複線化のため、嵯峨嵐山と馬堀間が、平成元年(1989)3月に新線に切替えられたが、
景勝地として名高い保津峡に沿って走るこの路線を観光鉄道として残そうと平成3年(1991)からトロッコ列車の運行を始めたのである。

徒歩1分

■ 小倉池

小倉池 トロッコ嵐山から小倉池の横を通り、嵯峨野・奥嵯峨へと道は続いていくのだが、
その入口にあるのが小倉池で、京都の心霊スポットの一つとと云われていて、その昔は日も射さぬ鬱蒼とした所だったようであるが、
今はそんな気配は微塵もなく、そんな事を知ってか知らずか、嵯峨野に向かって足を早めるカップルが、池を眺め通り過ぎて行った。

徒歩1分

御髪神社

小倉池の西側には、日本唯一の髪の神社がある。

トロッコ嵐山から、徒歩4分

常寂光寺

トロッコ嵐山の駅から小倉池の横を北に270mほど歩くと、小倉山の中腹に建つ「常寂光寺」に出会うことになる。

小倉山

常寂光寺の建つ小倉山は、標高292mの小高い山で、隠椋山とも書かれ、その昔は大櫃川両岸の総称であった。
古来、桜と紅葉の名所として知られ、歌枕として歌人に愛されてきた。

徒歩3分

■ 嵯峨野の景色

嵯峨野の景色 常寂光寺の山門を出、100mほど東に歩くと、これが嵯峨野だという風景に出会うこととなる。
左に、有智子内親王、右に、落柿舎、そしてその前には小豆畑が広がっている。
嵯峨野は、嵐山の東北、低い丘陵に囲まれた小平地で、東は大沢・広沢の池をへて宇多野へ続き、西は小倉山や試峠に隔てられている。
青々と茂る静かな竹薮・大覚寺・釈迦堂などの大寺、小さな庵、そして甘酒を売る茶店が独特の雰囲気を醸しだす。
春は落椿や山桜に、秋は夕月や紅葉に、小径をゆけば次々に現れる名刹・旧跡にあきることを知らない。

嵯峨野さやさや

嵯峨野を歌った歌がある。
昭和50年(1975)7月に姉妹ヂュオ「タンポポ」がリリースした『嵯峨野さやさや』

小倉餡発祥の地

小倉の里で作られたことで小倉餡と呼ばれる。

有智子内親王陵墓

その陵墓が、嵯峨小倉山緋明神町にある。
(落柿舎の隣と言ったほうが分かり易い)
左側に鳥居が見えるのが、有智子内親王の陵墓である。

落柿舎

落柿舎 「雨の落柿舎 たんぼ道 藪の茶店で書く手紙 きのう別れたあの人に」
落柿舎は向井去来が住み、師の芭蕉も逗留した「落柿舎」の跡はこの辺りと考えられている。
現在の庵は、俳人井上重厚により、明和7年(1770)に再建されたものである。


徒歩1分

■ 去来の碑

去来の碑 落柿舎の後ろ林のなかに、向井去来の墓がある。
この辺りが嵯峨野の中心部にあたり、去来の墓の周囲には有名・無名の俳人・歌人の句や歌の石碑が並んでいる。
石碑に囲まれた中に、30cm程の自然石に「去来」とだけ彫られた質素な去来の墓がある。
墓といっても、ここには遺髪が入れられており、去来が眠るのは白川通にある「真如堂」である。

徒歩1分

西行井

また、この嵯峨野の中心部には、西行法師の出家した時の草庵があったとされる、「西行井」が残っている。
去来の墓を囲む句や歌の石碑が建つ東の端に、その井戸跡はある。

徒歩5分

小倉山二尊教院華台寺

去来先生噴と刻まれた石碑の横を北に100mほど歩くと、二尊院の総門が見えてくる。

徒歩6分

■ 三叉路の石碑

三叉路の石碑 二尊院からさらに北にと向かうと、三叉路に「祇王寺」、「滝口寺」とともに「山城国一ノ寺壇林寺門跡」の石碑が建つ。



徒歩1分

壇林寺

祇王寺・滝口寺へ向う道の途中にあり、少し登りかげんの道の右側に堂宇を構えている。

徒歩1分

滝口寺

壇林寺の前を西に祇王寺の前を通ったその先に、薄幸の女・横笛の悲恋の舞台となった「滝口寺」がある。

祇王寺

祇王寺 正岡子規が『夏草や嵯峨には美人の墓多し』と詠んだ句があるが、嵯峨野には、妓王・妓女・佛御前・小督局や夕霧太夫の墓所があり、また横笛の入水の舞台として、幸せ薄い女の哀話が多く残っている。



徒歩5分

後亀山天皇「嵯峨小倉陵」

祇王寺の横手には、後亀山天皇の嵯峨小倉陵がある。

徒歩15分

■ 嵯峨釈迦堂前(京都バスバス停)

inserted by FC2 system