船岡山|西陣界隈

船岡山 船岡山は北を守る玄武の山として信仰され、平安京の造営にあたっては、この山を都の基準点として定め、
平安京の大通りである朱雀大路は、この船岡山を基点として、南に真っ直ぐに引かれているのである。
標高111.7mの小山で、応仁の乱では船岡山城が築かれている。山頂からは五山の送り火が見渡せ、当日は多くの人が詰めかける。
船の形をしている所から「船岡山」と呼ばれるようになった。


アクセス
京都駅から
▼「B1」乗り場から9系統で『堀川鞍馬口』下車(所要38分)


船岡を歩く

■ 堀川鞍馬口(バス停)

徒歩1分

紫式部の墓所

堀川通を北に、すぐに島津製作所の紫野工場がある。
その先の北大路通までの間に堀川通に面した建物の一角に紫式部の墓所がある。

徒歩3分

雲林院

堀川北大路の交差点を北大路通に沿って西へ少し歩き、大徳寺バス停を南に下がった通の左側に雲林院がある。

徒歩3分

大徳寺

大徳寺

雲林院から北大路を越えてすぐに、大徳寺はある。大徳寺は大燈国師によって、正中2年(1325)に創建された、京でも一二を競う禅宗の寺院である。



一休さん

一休さん、一休禅師、一休宗純、而してその名は……月光仮面、てなわけはないか!!

平康頼之搭

大徳寺の東門を入り勅使門の横に、平康頼之搭が建っている。
平康頼と云ってもどんな人物なのか分る人は少ない。
平と付くのだから平家に繋がり栄華を極めた人物だろうと思っていたのだが、あにはからんや、全く逆の運命を辿った人物である。

大徳寺の塔頭

大徳寺はまた、数多の搭頭寺院があり、その殆どは非公開であり、門から中に入ることは出来ないが、そんな搭頭寺院を外から一巡りしてみよう。

徒歩6分

■ 瑞源院跡

瑞源院跡 紫野高の前に「瑞源院跡」の石碑が建つ。
瑞源院は福山城主水野勝成が創建したものであるが、現在はその形もなく、ただ石碑のみが建っていて、大徳寺の他の搭頭が残っているのに比べ、
この寺は徳川幕府の陰謀により廃寺になってしまったのだろうか。

徒歩1分

■ 狐蓬庵

狐蓬庵 小堀遠州が慶長17年(1612)に竜光院の中に建てたものを、ここに移したのだが焼失後、松江藩主松平不昧が再建したものである。
建物は禅寺には似合わず風流を主とし、茶の湯趣味が溢れている。
ここは非公開の寺院である。

徒歩7分

今宮神社

大徳寺を西に出てすぐの通りを右に行くと、今宮神社である。
今宮神社は正暦5年(994)に平安の都に疫病が流行った時に、これを鎮めるために創建された神社である。

徒歩1分

あぶり餅

今宮神社の東側(裏門)を出ると、その門前に二軒の「あぶり餅」を売る店がある。

徒歩11分

船岡山

船岡山は、標高112m、面積2万5千坪の小高い丘である。

建勲神社

建勲神社

船岡山には明治天皇により創建された、建勲神社がある。





応仁永正戦跡舟岡山

船岡山も112mの頂上に登り、建勲神社に拝し、船岡山公園がある西側に降りた。
そこに「応仁永正戦跡舟岡山」という石碑があった。

徒歩10分

■ 千本北大路(バス停)

inserted by FC2 system