上賀茂神社|下鴨・上賀茂界隈

上賀茂神社 下鴨神社から、賀茂川を西北に3Kmほど遡ると御園橋となり、そこから100mで上賀茂神社となる。
「賀茂別雷神社」と言い、神武天皇の御代に創建されたというから、まさに古事記の世界である。
平安遷都に際し、都を護る王城鎮護の社として崇敬をされ、多くの人々の信仰を集め、5月15日に行われる葵祭は、京三大祭の一つとして有名である。
また境内を流れる、御物忌川と御手洗川が合流し明神川として流れてゆく川筋には社家が並び、時の流れがとまったかのように、ひと時の安らぎを与えてくれる。


アクセス
京都駅から
▼「A2」乗り場から4系統で『上賀茂菖蒲園町』下車(所要47分)

明神川の流れと上賀茂神社を歩く

■ 上賀茂菖蒲園町(バス停)

徒歩4分

岩佐家住宅

上賀茂菖蒲園町から細い道を北に200m程歩くと、上賀茂神社の社家のひとつ「岩佐家」に行き当たる。
(社家とは、特定神社(この場合は上賀茂神社をいう)の神職を世襲してきた家のこと)

徒歩4分

■ 藤木社

藤木社

「岩佐家住宅」の横を通りさらに北へ歩くと、明神川のほとりに「藤木社」(ふじきのやしろ)がある。
『藤木社は明神川の守護神として信仰されており、上賀茂神社の末社で、5月15日の葵祭では、神輿渡御が行なわれる。 社殿うしろの楠は、樹齢500年といわれ長く崇められている。』

■ 明神川

明神川

明神川は上賀茂の農耕用水として、賀茂氏により開墾された川で、賀茂川より取水し、上賀茂神社の境内を通り御手洗川と名を変え、御物忌川と合流し、ならの小川となる。
神社の境内を出ると、南から東に流れを変え、社家の庭を潤しながら社家町を流れ、生活用水となり、後は田畑を潤す生命の川として永く大切に守られながら、疎水分線と合流をする。
また、この辺りは上賀茂の社家町として町並みが形成され、今もその風情を残しつつ町の景観を保っている。

藤木社から、徒歩2分

社家「井関家住宅」

岩佐家からさらに北に向かい、明神川のほとりにある藤木社を右におれると「井関家」がある。

徒歩4分

大田神社

井関家住宅から藤木通を東に150m程歩くと、大田神社前と記され信号のある四辻となる。
ここを左に100m程入ると「かきつばた」で有名な『大田神社』がある。

大田沢の杜若

杜若

神社の右方東側の池を「大田の沢」と呼び、5月中旬に濃紫の花をつける野生の杜若(かきつばた)が咲き乱れる。
藤原俊成が、
「神山や 大田の沢のかきつばた ふかきたのみは 色にみゆらむ」と、文治6年(1190)の五社百首に詠んでいる。

徒歩6分

西村家住宅

井関家住宅から藤木通を明神川に沿って西に(上賀茂神社の方)200m程歩くと、社家のなかでも最も古い「西村家住宅(庭園)」がある。

徒歩7分

ならの小川

明神川の守護神である「藤木社」から明神川に沿って、社家が続く町並みを上賀茂神社へと歩いて行くと、ならの小川となる。

徒歩1分

上賀茂神社

上賀茂神社

ならの小川を越えると、上賀茂神社である。上賀茂神社にも2棟の国宝と34の重要文化財があるので、まずは主な重要文化財を見てみよう。
ここの重要文化財も、その殆んどが寛永5年(1628)に造替されたものである。



■ 神山湧水

長明の方丈

本殿に参る前に身を清めるのだが、この上賀茂神社の手水舎は神の水を汲み上げている。
この手水舎の水は「賀茂別雷大神」がご降臨された神山(こうやま)のくぐり水を汲み上げて使用しているという、由緒ある水である。

下鴨神社は、「玉依媛命(たまよりひめのみこと)」が瀬見の小川の上流から流れてきた、丹塗りの矢がほとにささり、「賀茂別雷神」を生んだといい、正式な名を「賀茂御祖神社」(かもみおやじんじゃ)と云うのだが、
上賀茂では、上賀茂神社の北2Kmの神山(こうやま)が「賀茂別雷神」が降臨した処とされ、その昔より、この地は神聖化され誰も足を踏み入れることが出来ない地であったと云い、この地を祀るために上賀茂神社が創建されたとも云われている。
その山の湧水がこの手水舎にも流れており、ここで身を清めることは、神山の神水で身を清めることに通じるという有難い手水舎なのである。

立砂

二の鳥居をくぐり、ほぼ正面にあるのが「細殿」である。その前に円錐の形をした二つの砂があり、これを「立砂」と云う。

玉橋と楼門

一の鳥居、二の鳥居とくぐり、本殿の庭に入る前に、上賀茂神社といえば、玉橋と楼門と言われるほどである。

徒歩4分

■ 上賀茂神社前(バス停)

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