魔界伝承を訪ねて「一条まで」|京都御所界隈

一条戻橋 四条通から一条通までを歩き、江戸時代から幕末を感じ、大内裏跡や朱雀門跡で遠く平安京の昔を偲び、二条城では徳川華やかし頃を、聚楽第跡では秀吉の栄華を・・・
一条戻り橋では京の魔界に潜む神々を・・・、そして五芒星の清明神社で力を貰ってという、欲張りなぶらり歩きである。
まずは四条大宮から北に向かい歩き始めよう。


アクセス
京都駅から
▼「A3」乗り場から206系統又は
 「D3」乗り場から26系統・28系統で『四条大宮』下車(所要14〜18分)


四条から一条へ

■ 四条大宮(バス停)

四条大宮

嵐山へと向かう電車が出る駅である。
京福電鉄の嵐山線というのが路線名なのだが、京都人は嵐山に行くことから「嵐電」と呼んでいる。
このことから最近、この電車そのものを「嵐電」と呼び、この駅を嵐電四条大宮と呼ぶようになった。
四条四条大宮は、四条通りと大宮通りの交差点に位置しており、大宮とは皇后のことであり、大宮通りとは、また皇后の通りを意味するものである。
大宮通りは、平安時代には「大宮大路」と呼ばれ、都大路の中でも往来の激しい主要幹線道路であった。
また、ここは阪急電車の大宮駅があり、阪急電車との乗り換え駅にもなっている。

徒歩3分

三条台若中会所

四条大宮から大宮通を北に3分ほど歩くと「三条台若中会所」がある。

徒歩5分

三条会商店街

江戸時代に獄舎があった跡の、六角獄舎跡を訪ねることにし、大宮通を北に歩いたのだが、道を間違えて三条通の商店街に突き当たった。
ここは京都一長いアーケードを持つ三条会商店街である。

徒歩5分

武信稲荷神社

三条通から南に一筋目の六角通に「武信稲荷神社」はあった。

徒歩2分

六角獄舎跡

六角獄舎跡屋

武信稲荷神社のすぐ近くに六角獄舎跡がある。




徒歩9分

二条陣屋

二条城の南にあるのが江戸時代中期に建てられた小川家住宅である。
陣屋式建物で、二条にあることから二条陣屋とも呼ばれる。

徒歩1分

神泉苑

神泉苑

神泉苑は、平安京を造るときに、大内裏の東南に接して造られた禁苑で、俗に御池とも呼ばれている。
昔は、東西200m、南北400mの敷地があり、乾臨閣を正殿とし、法成就池という大池を掘って、庭園美を極め、天皇や貴族が遊興にふけったという。

二条城大手門まで、徒歩7分

二条城

二条城へは東門のある堀川通から入ることになり、バスも堀川通の二条城前で止まるのである。
東門以外にも北や西、南にも門があるのだが二条城へは、堀川通の東門からしか入ることは出来ない。
四条大宮から北へ歩くと二条城の南側にあたる押小路通に出ることになり、東南と押小路通と美福通の角にある西南隅櫓が目に入る。

徒歩9分

■ 東町奉行所跡

東町奉行所跡

『東町奉行所は、奉行のもとに与力、同心と呼ばれる職員をもち、京都の行政、司法、警察全般を担当し、さらに畿内幕府領の租税徴収や寺社領の訴訟処理にも当った幕府の役所で、西町奉行所(現中京中学校付近)と隔月交代で任についた。
しかし両奉行所それぞれ与力二十騎、同心五十人で職員の数は少なく、各町の自治組織を利用して市政に当った。
京都町奉行が初めておかれたのは、慶長5年(1600)、寛文8年(1668)からは常置の職となって幕末にいたった。』

出典:【此付近東町奉行所跡の駒札】より
東町奉行所は、現在の押小路通大宮西入る(地下鉄東西線「二条城前」駅から徒歩約3分)の、NTT壬生電話局の所にあり、西町奉行所は、ここからそれほど遠くない、押小路通千本北東角(JR「二条」駅から徒歩1分)にあって、今は、京都市立中京中学校となっている。

徒歩3分

二条城撮影所跡

二条城がある地は、日本映画発祥となった二条城撮影所があった所でもある。
明治43年(1910)に京都で初めての撮影所が開設され、日本映画の父といわれる牧野省三もここで腕をあげて、その後の日本映画発展の礎を築いたのである。
その二条城撮影所跡の碑が二条城の近くに建っている。

徒歩3分

■ 西町奉行所跡

西町奉行所跡

二条城の南側、押小路通に、江戸でいう北町と南町奉行所にあたる、東町と西町奉行所跡がある。
JRの二条駅前の千本通と押小路通の角に、西町奉行所跡の石碑が建っている。
今では全くその面影もなく、車の往来が激しいところであるが、西町も東町の奉行所も二条城からすぐの所にあったのである。
いずれも二条城の南、押小路通沿いに建っていた。

徒歩4分

■ JR二条駅

JR二条駅

御池通を西に突き当ると、JR二条駅がある。
京都駅から山陰本線(嵯峨野線)で、丹波口に停まり二条と、京都駅から二つ目の駅である。
京都鉄道会社として、明治30年(1897)2月15日に開業された。
旧駅舎は、明治37年(1904)に建てられた、平安神宮本殿を模した入母屋造の重厚な駅舎であったが、山陰本線(嵯峨野線)の、二条から花園間の高架化工事にともない、平成8年(1996)3月16日に現在の、高架の上にアーチ型の大屋根を持つ新駅舎となった。

徒歩1分

朱雀大路と朱雀門

平安京大内裏の朱雀門跡は、ここから北へ約200メートル付近にあたる。
正面七間、奥行五間の二重閣で雄壮華麗を誇る大内裏の正門であった。

JR二条駅から、徒歩12分

平安宮朝堂院跡

千本丸太町の角、りそな銀行の前に平安宮朝堂院跡の碑が建っている。

徒歩2分

大極殿跡

平安京の主要道路であった朱雀大路(現、千本通)の北の端、千本丸太町の少し北西の公園の中に、大極殿遺阯の碑が建っている。
この付近が平安京の中心、大内裏跡でそのなかでも政事を司った朝堂院があり、正殿である大極殿がここにあった。

徒歩11分

聚楽第南外濠跡

千本丸太町から丸太町通を東に、智恵光院通を北に、一条通までに点在する聚楽第跡の石碑を探す。
智恵光院出水東入るに松林寺があるのだが、このあたりが豊臣秀吉が築いた「聚楽第」の南端に当たる所である。

徒歩8分

■ 聚楽第本丸西堀跡

聚楽第本丸西堀跡

智恵光院中立売には「此付近聚楽第跡」(本丸西堀があったとされる場所)の石碑が建つが、その後、秀吉は関白の職を秀次に譲り、聚楽第も明け渡すのだが、茶々(淀君)に子供(後の秀頼)が出来ると、秀次に詰腹を切らせ、聚楽第も徹底的に打ち壊してしまうのである。
聚楽第が出来てから僅か8年で、その豪華絢爛な建物は跡形もなく消えうせてしまうのである。
従って今に、その名残を表すものは全くと言っていいほどに残ってはいないのである。

徒歩9分

一条戻り橋

安倍清明が式神を隠したという、一条戻り橋が堀川一条に架かっている。

徒歩3分

清明神社

一条戻橋から堀川通を挟んで、斜め北側に晴明神社がある。平安の陰陽師、安倍晴明をお祀りしている神社であり、最近は映画や漫画などで虚実取り混ぜて画かれ、その実像は定かではなくなっている。

徒歩3分

■ 千利休屋敷跡

千利休屋敷跡

葭屋町通元誓願寺下ルに千利休の屋敷があったことが分かり、その地が調度この境内の場所にあたり、その跡地として、千利休居士聚楽屋敷跡の石碑が建っている。



徒歩3分

■ 堀川今出川(バス停)

inserted by FC2 system