御苑西|京都御所界隈
烏丸通は京の中心を南北に貫く通りで、京都駅を北に出ると、真直ぐに北に向っている。
京都駅からすぐには、吟行や会社また東本願寺などがある。四条烏丸までくると、ようやく繁華街の賑わいをみせるのだが、さらに北に歩くと再び静かな通りとなる。
丸太町から東側に京都御苑が今出川まで続いている。
今回は、この烏丸通に面した京都御苑の西側を、下立売御門から出て歩いてみる。
アクセス
京都駅から
▼「A2」乗り場から4系統または17系統または205系統で
『荒神口』下車(所要18〜21分)
▼京都市営地下鉄烏丸線で『丸太町』下車(所要7分)
御苑西を歩く
■ 荒神口(バス停)/ 丸太町(地下鉄駅)
■ 下立売御門
京都御苑には、9つの門と4つの出入口があり、その内のひとつ「下立売御門」である。烏丸通に面して、4つの御門があるのだが、その一番南にあるのが、この御門である。
烏丸通の4つの御門は禁門の変では、そのいずれの門でも、長州と幕府軍とにより戦が行われたのであるが、その一つである。
蛤御門での戦いが激戦を極めたので、その他の御門での戦いがかすんでしまうのだが、この下立売御門も禁門の変で、戦の一端を開いた所である。その御門から御苑の外へと出る。
徒歩1分
■ 菅原院天満宮神社
下立売御門を出て烏丸通を西に渡ると、菅原院天満宮神社がある。祭神は菅原道真公であり、京の町に多く残る道真公にゆかりする神社の一つである。
徒歩1分
■ 聖アグネス教会
下立売御門の烏丸通を挟んで向い側に、平安女学院の礼拝堂として建てられた、聖アグネス教会がある。
徒歩1分
■ 平安女学院
平安女学院の起源は古く、明治8年(1875)に、大阪の川口居留地にて女子に英語を教える、エディの学校が開かれたのが始まりである。
明治28年(1895)に、平安女学院として現在の地に移転する。明治31年(1898)に礼拝堂である、聖アグネス教会が完成する。
また日本で初めてセーラー服を制服として採用(大正9年:1920)したのもこの学校である。
戦後、昭和22年(1947)に平安女学院中学校の開校を始めとして、高校、短大、大学と開校し、一貫して女子の為に教育を行っている。
唯一、大正4年(1915)に開設された幼稚園のみが男女共学なのである。
徒歩1分
■ 旧二条城跡
平安女学院の辺りは旧二条城があった処であり、下立売通室町の角に石碑が建っている。
徒歩2分
■ 有栖川宮邸
平安女学院の前、烏丸通に面し「有栖川宮邸」と書かれた、平唐門があった。
有栖川宮邸跡は御苑の中だから、この建物はその一部が移築されたものであろう。
徒歩5分
■ 蛤御門
出水口より御苑の中に入り御苑内を廻り、再び蛤御門より御苑を出る。
京都御苑西側のほぼ真ん中位にあるのが蛤御門である。
徒歩1分
■ 土御門烏丸邸
徒歩1分
■ 水戸藩邸跡
烏丸通下長者町町西入ルにひとつの駒札が立っている。
「比之付近水戸藩邸跡」と記されている。
徒歩1分
■ 護王神社
京都御苑蛤御門前の元、中院家邸跡の地に、和気清麻呂公と姉の和気広虫姫を主祭神とした護王神社がある。
東の烏丸通に一の鳥居があり、北の下長者通に二の鳥居をもつ。
徒歩13分
■ 堺町御門
京都御苑の南側にある三つの出入口のなかの「間ノ町口」から入り、御苑の内を散策し、真中の出入口である
「堺町御門」から出る。
数ある京都御苑の門のなかで、入った処と出た処がものの100m強しか離れていないのである。
徒歩6分
■ 横井小楠殉節地
堺町御門を出て丸太町通を東へ歩くと、寺町丸太町西入ルに「横井小楠殉節地」という石碑が建っている。
調度、京都御苑の東南の角で、丸太町通を挟み南側に位置する処になる。
徒歩5分 徒歩11分
■ 河原町丸太町(バス停)/ 丸太町(地下鉄駅)