京都御苑|京都御所界隈
京都御苑は、南は丸太町通、北は今出川通に、東は寺町通、西は烏丸通に挟まれた南北1,300m、東西700mの広大な敷地を持つ公園である。
明治2年(1869)に政治の中心が東京に移り、天皇と共に公家達も東京に。
御所周辺の公家屋敷も主を失い荒廃してしまったのを明治天皇が憂い、明治10年(1877)に御所の整備を命じられ、京都府が空家となった公家屋敷を撤去し整備をしたのが京都御苑の始まりである。
戦後、昭和24年(1949)に公園として一般に開放され、それ以来、京都市民の憩いの場として利用されている。
アクセス
京都駅から
▼「A2」乗り場から4系統または17系統または205系統で
『河原町丸太町』下車(所要17〜20分)
▼京都市営地下鉄烏丸線で『丸太町』下車(所要7分)
京都御苑を歩く
■ 河原町丸太町(バス停)/ 丸太町(地下鉄駅)
■ 間の町口
■ 閑院宮家屋敷跡
間ノ町口から京都御苑に入ると、左側御苑西南角に閑院宮家の屋敷跡がある。
閑院宮家は江戸時代の伏見宮、桂宮、有栖川宮家と並ぶ四親王家のひとつで、東山天皇の皇子直仁親王を始祖として、宝永7年(1710)に創設された。
徒歩1分
■ 宗像神社
閑院宮邸を長屋門から出ると宗像神社の西側の鳥居がみえる。
花梨の木だろうか、まだ熟れていない実を付けた木の下の鳥居をくぐり境内に入る。
京都御苑にある宗像神社は、延暦14年(795:平安遷都の翌年)に藤原冬嗣公が御所鎮護の神として祀ったのが始まりとされる。
徒歩7分
■ 出水口
■ 嘉陽宮邸跡
■ 西園寺邸跡
■ 白雲神社
白雲神社は祭神に、妙音弁才天と市杵島姫命を祀る。
衣笠大北山の西北(現在の金閣の地)にある、琵琶の宗家である西園寺家の別邸に妙音堂を建立したのが始まりとされる。
明和6年(1769)に西園寺邸のなかに妙音堂が再興され、明治11年(1878)に神仏混淆を改め神式とし、白雲神社と号されることとなった。
徒歩3分
■ 清水谷家の椋
京都御苑の南西の角に、一本の大きな椋の木がある。
樹齢300年とも云われ、この辺りに清水谷家の屋敷があったことから「清水谷家の椋」と呼ばれている。
徒歩9分
■ 最も北の「乾御門」
乾御門は、西側の烏丸通に面した門のなかでは、最も北にある門となる。
禁門の変の際には、長州兵にこの門を突破され、禁裏の中に進入を許している。今では何事もなかったかのように、静かに悠久の時を過ごしている門である。
徒歩2分
■ 皇后門
京都御所には色々な御門があり、一般参観の折には「宜秋門」から入り「清所門」から出るのだが、御所の御門は常には閉まっていて、開けることはない。
この「皇后門」も常には閉まっていて、この門より出入りすることはない。そんな門を見ながら、御所の北側をゆっくりと歩いていく。
徒歩7分
■ 皇女和宮生誕の地
皇后門からは御所の北側を歩き、猿ケ辻の角を曲がり御所の東塀に沿って歩くと、京都迎賓館前の松林のなかに、「橋本家の跡」がある。
徒歩2分
■ 学習院跡
安永8年(1779)閑院宮家出身で皇位を継いだ光格天皇は、学問を大切にし公家の教育振興に取り組んだ。
次の仁孝天皇在位中の天保13年(1842)に幕府により、御所建春門の外に学習所の創設が認められ、孝明天皇在位中の弘化4年(1847)に開講した。
公家を始め、御所に勤める役人らちとその子弟に国学や歴史等を教えることとし「学習院」と呼ばれた。
徒歩1分
■ 御所の東門「建春門」
学習院跡からは京都御所の東側にある「建春門」が見える。
建春門は御所の東側にある門で、南東の角から少しだけ北に寄った処にあり、唐破風の屋根を持つ四脚門である。
もとは勅使の出入りに使われていたが、明治以降は皇后や皇太子が出入りする門として使われている。
徒歩1分
■ 御所の正門「建礼門」
建春門の角を曲がると、南側に御所の正門である「建礼門」がある。
建礼門は、御所の南側にあり正面入口になる門で、素木の切妻造、桧皮葺の柱間一間の四脚門である。
この門を入ると丹塗りの承明門があり、その向こうに紫宸殿がある。
この門が開かれるのは、天皇や国賓の来所などの特別な行事の時だけである。
徒歩3分
■ 凝華洞の跡
■ 鷹司邸跡
■ 九条家跡
鷹司邸と向い合わせにあったのが、五摂家の一つである九条家である。堺町御門と間ノ町口に挟まれた、御苑では西南の場所に位置している。
九条家は藤原氏北家の流れを汲み、九条兼実を祖とする。京都九条にあった九条殿に住んだことから、九条との家名が付いた。
鎌倉時代に源頼朝の推挙で、摂政、関白職に付くと、以降は近衛家とその職を分け合うことになる。
徒歩1分
■ 九条池と厳島神社
今九条家の跡は、庭園にあった池(九条池)とその畔に立つ茶室と、池の中の島にある九条邸の鎮守社であった厳島神社が残るのみである。
徒歩2分
■ 拾翆亭
九条家の建物で唯一残るのが、茶室であった「拾翆亭」である。
拾翆亭についてが、御苑廻りもいよいよ大詰めになった頃に出てくるのだが、実は今回の御苑で一番最初に訪れたのが、この拾翆亭なのである。
間ノ町口を入ると、すぐ右手にこの建物が見える。
徒歩14分
■ 河原町丸太町(バス停)/ 丸太町(地下鉄駅)