八坂神社|東山界隈

八坂神社をあるく 八坂神社は祇園さんとも呼ばれ、東山の麓にあり祇園の花街にも近く、うしろに円山公園を負い、東山名勝の中心となっている。
八坂神社は素戔鳴尊(スサノオのミコト)を祭神とする、全国祇園社の根本社であり、古くは、祇園感神院・祇園社・祇園天神・牛頭天王ともいったが、明治元年(1868)の廃仏毀釈により、八坂神社と云われるようになった。
夏の祇園祭と大晦日の除夜の鐘が鳴るのを聞きまがら詣でる「おけら詣り」など、京ならではの風物詩に関わっている神社である。


アクセス
京都駅から
▼「D1」乗り場から100系統または「D2」乗り場から206系統
 『祇園』下車(所要20分)
▼「A1」乗り場から5系統または「A2」乗り場から4系統205系統17系統
 『四条河原町』(所要15〜18分)


八坂神社を歩く

■ 祇園祭の山鉾の重さ

>祇園祭の山鉾の重さ 2011年の祇園祭で始めて山鉾の重量が測られた。
一番重いのが「月鉾」で11.88トン、最も軽いのが「綾傘鉾」の0.36トンとなった。
見た目で重そうな山や鉾は、やはり重く10番目の「岩戸山」で8.2トンとなっている。
かつては担いでいた「かき山」はその殆どが1トンに満たない重さで、唯一「蟷螂山」が1.22トンであった。
表中の重さは、人や装飾品などの重さを含む、巡行中の重量である。

出典:【京都新聞、山鉾の重量】より

無言参り

祇園祭の山鉾巡行が終った夜に、三基の神輿が八坂神社の神を奉じて、四条寺町の御旅所へ渡る、神幸祭がおこなわれる。

■ 祇園(バス停)

徒歩1分

祇園さん

祇園さん

四条通の北の端、東山の麓に位置し、祇園の花街にも近く、後ろに円山公園がある。
祇園祭というと「祇園さん」の愛称で知られる「八坂神社」


徒歩1分

■ 八坂の絵馬堂

八坂の絵馬堂

八坂さんの西楼門を入ると、すぐ左に絵馬堂がある。菊の御紋のはいった額に、蜷川虎三氏と千宗室氏などの名があり、昭和18年7月吉日と、菊の御紋とくれば戦勝祈願であろうか。
もう一つ多いのが調理師連名の名が入った額である。昭和27年など戦後すぐの年が刻まれている。
そして目に付いたのが、坂田藤十郎襲名披露記念の額である。
三代目中村鴈次郎(もと中村扇雀、参議院議員の扇千影のダンナさん、歌舞伎役者)が何十年振りかに坂田藤十郎を襲名したのである。
その時に奉納した額がここに架かっていた。平成17年11月吉日のことである。


徒歩1分

■ 蘇民将来の「疫社」

疫社

西楼門を入ると正面に「疫神社」がある。祭神は蘇民将来で、謂れによると・・・
むかし祖神(おやがみ)が諸国を巡り、日暮れに将来の処で宿を請うのだが、裕福な弟の巨旦将来(こたんしょうらい)は宿を貸さず、
貧しい兄の蘇民将来(そみんしょうらい)は粟殻で座を敷き、粟粥で厚くもてなしたので「われはハヤスサノヲの神なり」と、後年疫病が流行っても、茅の輪をつけて蘇民将来の子孫なりといえば、災厄から免れると約束され、巨旦将来の子孫は途絶えたが、蘇民将来の子孫は今に栄えている。

出典:【疫神社の駒札】より
徒歩1分

■ 天孫降臨にまつわる「太田社」

大田社

太田神社と白鬚神社の額が懸かっているが、祭神は猿田彦神と天鈿女命である。
この二体の神は、古事記の天孫降臨にまつわる神で、猿田彦神は邇邇芸尊(ににぎのみこと)が天降るさいに、高天原から葦原中国までを照らし、天孫降臨の道案内をしたという神で、その時に、その名を訪ねにいったのが天鈿女命だったのである。
天鈿女は天照大神が天岩戸の隠れ世が暗闇になった時に、岩戸の前で半裸となり舞をまったということから、芸能の神として信仰を集めている。
また天鈿女命は猿田彦神と結ばれて、猿女君となったともいわれ、その二神がこの神社に祀られている。


徒歩1分

■ えべっさんを祀る「北向蛭子社」

北向蛭子社

北向蛭子社の祭神は事代主神で、俗に「えべっさん」と称され、釣竿と鯛を持った姿はすぐ思い浮かべることが出来る、商売繁盛の神である。
この社は「西楼門内、北向きに立つ」と古文に記されていて、古くからこの地にあったといわれる。
今の社は正保3年(1646)の建造になるものである。
その横には享保8年(1723)3月の日付が入った灯籠が立っており、社殿と同じく江戸時代の中期に建てられたものである。


徒歩1分

■ 大黒さんを祀る「大国社」

大国社

大国主社の祭神は大国主命・事代主命・少彦名命とあり、大国主命とは「大きな袋を肩に掛け、大黒さまがきかかると、そこに因幡の白兎……」と歌われている出雲の神様で、俗に「大黒さん」と呼ばれる福の神・縁結びの神なのである。
鳥居の横には縁むすびの絵馬が掛っていて、夫々に縁が繋がるようにとの願いを込めてお祈りをしたのであろう。


徒歩1分

■ 八坂神社「本殿」

八坂神社「本殿」

八坂神社は祇園さんとも呼ばれ、東山の麓にあり祇園の花街にも近く、うしろに円山公園をせおい、東山名勝の中心となっている。
本殿は承応3年(1654)徳川四代将軍家綱の再建になり、七間六間、単層入母屋造、桧皮葺で、本殿と拝殿を1つの入母屋屋根で覆った「祇園造」という様式である。


徒歩1分

■ 素戔鳴尊の荒魂を祀る「悪王子社」

悪王子社

拝殿の東側に、素戔鳴尊の荒魂を祀る「悪王子社」がある。
悪王子の「悪」とは「強力」の意味であり、荒魂は現実に姿を顕す霊験あらたかな神の意であり、諸願成就の御神徳という。
元は東洞院四条下ル元悪王子町にあり、天正年間(1573〜92)に烏丸通万寿寺町下ル悪王子町に還り、慶長元年(1596)四条京極に、さらに明治10年(1877)に、この地に移築された。

出典:【悪王子社の駒札】より
徒歩1分

忠盛燈籠

悪王子社の南隣に燈籠があるが、これが八坂神社の七不思議の一つである、忠盛燈籠である。

徒歩2分

■ 八坂さんの正門「南楼門」

八坂さんの正門「南楼門」

本殿と拝殿を見て南に歩みをとると南楼門。
実はこの南楼門が八坂神社の正門にあたり、石の鳥居をくぐり、この南楼門を抜けて拝殿、本殿となるのだが、西楼門があまりにも有名となり過ぎてしまい、八坂神社といえば西楼門、祇園といえば西楼門と、本来ならば正門である南楼門が主役となるべきなのに、その座は西楼門に奪われた感がある。
八坂さんに行ったならば、この南楼門と石の大鳥居が正門だということを心に留めてお参りしてください。
ただこの南楼門は慶応2年(1866)に焼失してしまい、明治12年(1879)の再建になる為に、西楼門と比較されてもその文化価値には及ばない為に、西楼門に負けてしまうのだが、こちらが八坂さんの正門である。


徒歩1分

■ 日本一大きい石の鳥居

日本一大きい石の鳥居

西楼門に負けない価値を持つのがこの石の鳥居で、日本一大きい鳥居で高さが9.5mあり、正面に架かる額は有栖川宮熾仁親王の筆になるもので、建立も正保3年(1646)、それ以来この地に立っている。
東山を巡る人力車の兄ちゃんもここで客待ちをし、気軽に声をかけてものを訪ねても親切に答えてくれる。
人力車に乗って少し高い目線から京の町を眺めてみるのも、またおつなものではないだろうか。


徒歩3分

■ 祇園(バス停)

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