島原|京都駅界隈
浅田次郎さんの本に「輪違屋・糸里」というのがある。
京都島原の置屋、輪違屋の遊女・糸里を主人公にして、それに新選組の芹沢鴨の暗殺に関わる人々を絡めた小説である。
その舞台は「壬生」と「島原」で、今回は島原を歩き、輪違屋の糸里に会ってこようと思うのである。
アクセス
京都駅から
▼「A3」乗り場から206系統で『島原口』下車(所要9分)
島原を歩く
■ 島原口(バス停)
■ 島原大門
島原は江戸以来、公の花街であり、東の吉原、西の島原といわれた位、格式の高い遊郭であった。
明治維新後に出来た、いわゆる新地と呼ばれる遊郭とは天と地ほども違い、単に遊宴を事とするのではなく、和歌・音曲・踊り等々の教養、格式の高さがあった花街だったのである。
徒歩1分
■ 輪違屋
島原で今も営みを続けているのが輪違屋である。置屋と揚屋を兼ねており、5人の太夫と1人の振袖太夫(太夫の見習い)がいる。
もともと輪違屋は置屋で、もう一つ島原に残っている角屋は揚屋であった。
徒歩2分
■ 角屋
輪違屋から、遠くない所に角屋(すみや)がある。角屋は揚屋で、今で云うお茶屋さん、太夫、芸妓は置かずに都度、置屋から呼んで客をもてなすのである。
徒歩1分
■ 東鴻櫨館跡
■ 島原西門跡
■ 島原住吉神社
どの遊郭にも守り神があり、祇園は辰巳大明神、上七軒には光盛大明神があり、この島原は住吉大明神がある。
もと住吉屋の守り神であった「住吉大明神」が霊験あらたかで、島原遊郭の守り神として建立されたものである。
大夫や芸妓などに信仰されたが、明治維新後の廃仏毀釈で廃社となる。
その後、明治36年(1903)に再興され、現在に至っている。
徒歩3分
■ 島原歌舞練場跡
昭和2年(1927)にこの地に移され、以降島原の中心的な建物として使用され、戦後は島原貸席お茶屋業組合として使用されたが、平成8年(1996)に解体され、120余年の歴史に幕を降ろしたのである。
島原の遊郭としての役目もまた幕を降ろしたのである。
徒歩5分
■ 平安京朱雀大路
■ 梅小路公園
丹波口の駅から東に、JRの線路に沿って歩き七条通を渡ると梅小路公園である。
この梅小路公園のすぐ横には山陰線の高架があり、一休みの間に5〜6本の電車が通過していった。
徒歩23分
■ 京都駅(バス停)